Multicritical Point
多重臨界点の理論
スピングラス模型の中にはゲージ対称性と呼ばれる性質を持っているものがあります.ゲージ対称性を有している場合,西森ラインと呼ばれる部分空間では,その対称性を駆使して解析を推し進めることが出来るのです.
足がかりとなる数理模型自体はシンプルなのですが解析自体は非常に困難であり,研究のほとんどが平均場近似(1体問題化)や数値計算,シミュレーションに頼るほかなかったので,突破口として非常に重要な理論形式といえます.
その特別な部分空間では,通常の磁性体に見られる,強磁性相,常磁性相のほかに,ランダムな相互作用を持つために発現するスピングラス相,それらの相境界を共有する多重臨界点が存在することが知られています.
この多重臨界点の位置を正確に導出する事が,私の研究の主題のひとつです.
スピングラス模型はまるでこの滝のように複雑な相図を持ちます.
なぜならば,それ自体の統計力学的な意味,性質を調べることだけでなく,この多重臨界点の位置が,最近話題になっている量子情報に対する誤り訂正符号の技術の性能評価へと繋がっているという重要な性質を持つためです.
さらにはこのスピングラス模型に対しては解析的な手法がほとんど確立していないという現況があります.そこに新しい解析的な手法を導入させようという研究を行ってまいりました.
しかしどこから手を付けたらよいか?
その手立てが,スピングラス模型よりも簡単な磁性体模型の解析に有効だった双対変換から構築することが出来るという予想がたてられました.
予想では仕方がなく,他の研究による数値計算との比較をして徹底的に結果の整合性を検証します.そうすると比較的うまくいっていることがわかってきたのです.
しかしながら十分に満足のいく結果ではない場合も最近発見されました.
それを手がかりに最近では,双対変換にさらに繰り込み群の手法を用いることを提案しました.私は従来の双対変換を用いた多重臨界点の理論を改善して,しかも物理的に意味のある定式化へと発展させました.
従来の方法より精度がよいということも勿論ですが,系統的に欲しい精度に応じて計算を進めていくことが出来る.しかも多重臨界点に限らず,ランダムスピン系一般に適用できるという強い手法であることが分かりました.
発見当初信じられていた数々の結果に対して疑問を投げかけることにも繋がり,後の発展的な結果もあり,業界へ与えたインパクトは大きいと思います.
おかげさまで上記の研究成果で平成21年度手島精一記念研究賞受賞となりました.
参考文献
スピン系の統計力学や臨界現象,双対変換の手ごろな教科書
西森秀稔,相転移・臨界現象の統計物理学,(培風館)
西森ラインの性質
H. Nishimori, Prog. Theor. Phys. 66 (1981) 1169.
量子情報との関係
E. Dennis, A. Kitaev, A. Landahl, and J. Preskill, J. Math. Phys. 43 (2002) 4452.
多重臨界点の双対変換による予想
H. Nishimori and K. Nemoto, J. Phys. Soc. Jpn. 71 (2002) 1198.
多重臨界点理論の繰り込み群による改良
M. Ohzeki, H. Nishimori and A. Nihat Berker, Phys. Rev. E 77 (2008) 061116.
M. Ohzeki, Doctor Thesis (Tokyo Institute of Technology).
M. Ohzeki, Phys. Rev. E 79, (2009) 021129.
大関真之,スピングラス模型の臨界点と双対変換,物性研究
Spin Glasses in Finite Dimensions
有限次元のスピングラス理論
無限次元に相当する理論,平均場理論によるスピングラス模型の解析でスピングラス相の存在やその特徴が明らかになった.
スピングラス相は2次元では存在しない.その後中心的な問題として取り上げられたのは,我々に身近である有限次元でのスピングラス相の性質が,果たして無限次元でのそれと類似するのか,はたまたまったく異なるのかということである.
数値計算に頼るしかない現状は多重臨界点の項目で述べた通りである.
しかし十分にその活躍を果たしており,2次元ではボンドランダムネス型のスピングラス模型では有限温度でのスピングラス相がないことや,3次元では逆に有限温度でスピングラス転移が存在する事の数値的証拠が数多く挙げられている.
我々は,ゲージ対称性から厳密に示される,
多重臨界点とスピングラス相転移点の間に確立する関係(専門的に言えば対称分布の上で)を利用することで,2次元の自己双対格子については有限温度でのスピングラス転移が存在しないことを示した.
レプリカ法と双対性を利用した解析方法の妥当性の下では厳密であり,有限次元でのスピングラス転移に関する初めての解析的な証拠である.
その点での価値は重要であり,今後有限次元スピングラス理論において,双対性を利用するという方向性も十分に意義があることを示している.
参考文献
多重臨界点の系統的近似法
M. Ohzeki, Doctor Thesis (Tokyo Institute of Technology).
M. Ohzeki, Phys. Rev. E 79, (2009) 021129.
2次元におけるスピングラス転移点の解析
M. Ohzeki, and H. Nishimori, J. Phys. A: Math. Theor. 42 (2009) 332001.
Nonequilibrium Systems
季節の移ろいはまさに状態の遷移 系が非平衡状態の場合,どのようにその統計的性質を扱ったらよいか?現代においても統計物理学の大きな研究課題のひとつです.数値計算や実際の実験において,多数の非平衡系の観測研究が進んでいますが,理論の整備はほとんどできていません.
そのような未成熟な状況の中で,非平衡状態も許すような任意の操作における平均量と,平衡状態での物理量が結びつくというおそるべき等式が発見されました.Jarzynski等式です.この発見を契機に,その拡張,また検証実験が多数行われて,いまや非平衡における物理学の基礎研究の出発点ともいえるでしょう.
私はJarzynski等式の導出やその特徴から,最近ランダムスピン系に対して適用可能なJarzynski等式を導出することに成功しました.元来のJarzynski等式においては平衡状態の分配関数が数式上現れます.実はこれは非自明な量であるため,応用の際の検証が困難であるという問題がありました.ランダムスピン系におけるJarzynski等式は,驚くべき事に,その分配関数の部分が自明な量に置き換わるために,その検証が容易に行えるという性質を持ちます.Jarzynski等式を用いたランダムスピン系などの計算手法としてNeel-Jarzynski法というのがあり,その精度や信頼度評価としての側面を持つ結果といえます.それだけでなく,ランダムスピン系の数値計算において問題となる平衡状態への長い緩和の問題への対処法としても,この結果は活躍できると期待できます.
参考文献
Jarzynski等式
C. Jarzynski, Phys. Rev. Lett. 78 (1997) 2690.
そのマスター方程式による証明
C. Jarzynski, Phys. Rev. E 56 (1997) 5018.
ランダムスピン系への応用
M. Ohzeki and H. Nishimori, e-print arXiv:cond-mat/1004.2389
Simulated Annealing
Yosemite fall
運送における配達経路や,基盤設計の発熱量などコスト部分を最小化する問題全般を組み合わせ最適化問題といいます.
最適化問題は現代社会のあらゆる局面で登場します.たとえばカーナビゲーションシステムの最短経路検索などです.よく検索される経験的な結果を集積した記録部分だけでは対応できない場合に,改めて検索を必要としますが,運転者の要求にすばやく対応するため,時間は短い程よいわけです.
さてこの最適化問題を系の特徴を捉えたランダムな重みを持った量の足し合わせと捕らえて,たくさんの要素からなる足し合わせの最小化を考える事と一般化します.これは丁度,ランダムな強さを持ったイジング模型の問題に対応させることができて,その基底状態を探すことに問題を帰着させることが可能です.
扱う最適化問題に対応するイジング模型を高温にさらすことにより,あらゆる状態も確率的に遷移可能な平衡状態に置き,そこから徐々に温度を下げることにより,低温において確率的に一番行きやすい状態,基底状態へ到達させるという方法が提案されておりシミュレーテッドアニーリングと呼ばれます.
十分にゆっくりと冷却操作をすれば,系は平衡状態,または非常に近い状態を保つため,基底状態を高確率で得ることができます.しかしながらその冷却操作がゆっくりではない場合,平衡状態から離れた非平衡状態を迎えてしまい,基底状態の正しい推定は失敗してしまうのです.
冷却操作の途中で相転移がある場合,その平衡状態への緩和が非常にゆっくりとなるため,その問題は深刻なものとなります.このダイナミクスを相転移の臨界現象を駆使して調べるという研究を行っております.
参考文献
シミュレーテッドアニーリング
S. Kirkpatrick, C. D. Gelett, and M. P. Vecchi, Science 220 (1983) 671.
マスター方程式などの確率過程
N. G. van Kampen, Stochastic Process in Physics and Chemistry, (north-Holland Amsterdam, 1981)
有限温度相転移を持つ系に対する熱アニーリングとKibble-Zurek機構
K. Yasuda, M. Ohzeki and H. Nishimori, work in progress.
Quantum Annealing
山谷を超えるうまい方法 上記にもあるように組み合わせ最適化問題の一般的解法のひとつとしてシミュレーテッドアニーリングがある.それは熱揺らぎによる状態遷移を利用した最適解に対応した基底状態の探索方法である.同様に量子揺らぎを制御することにより基底状態を探索することを目的とした量子アニーリングという手法も存在する.多くの場合で量子アニーリングの方がシミュレーテッドアニーリングの最適解への収束よりも速い事が実証されてきている.
実証方法のひとつとしては,基底状態にいけなかった状態が存在することに由来する残留エネルギーというものを指標として両者を比較する.多くの場合で残留エネルギーが0に収束する速度が量子アニーリングの方が速いということである.
アルゴリズムとしては,初期状態として自明な基底状態を用意する.ランダムスピン系では横磁場を非常に強く印加することにより,系のランダムネスを無視できるようにして,自明な基底状態,すべてスピンが横向きの状態を用意する.
そこからゆっくりと横磁場を弱めることにより,考えている最適化問題に対応するハミルトニアンに従った基底状態を調べるという流れである.
直感的には量子力学でのトンネリング効果を期待して,熱揺らぎよりも効率よく状態遷移を行えるはずというのが量子アニーリングの発想のきっかけである.
理論的には,量子力学における断熱定理を利用している.系のハミルトニアンをゆっくりと調整していく場合,基底状態のままである確率を1に近づけることができる.
しかし有限の時間での最適化を求められるのが応用における問題点であり,基底状態以外の励起状態が現れる事が,シミュレーテッドアニーリングのとき同様に問題となる.
この量子アニーリングにおいて効率よく最適解(最終時刻での基底状態)を求める方法を物理学的な視点(特に非平衡過程の物理)から提案している.
参考文献
量子アニーリングの数学的基礎
S. Morita and H. Nishimori, J. Math. Phys. 49 (2008) 125210.
量子アニーリングと断熱定理の関係
S. Suzuki and M. Okada, J. Phys. Soc. Jpn. 74 (2005) 1649.
量子アニーリングへのJarzynski等式の応用
M. Ohzeki and H. Nishimori, e-arXiv/quant-phys:1001.0836.
M. Ohzeki, to appear soon
M. Ohzeki, and H. Nishimori, to appear in JCTN
Quantum Topological Codes
トーラス符号量子情報は量子力学的な状態を情報の要素として扱い,重ね合わせの原理を利用する新しい情報の枠組みである.量子力学的な状態特有の周囲からの影響から情報を正しく保持し続けるために,誤り訂正符号という手法を構築する必要がある.その中でもっとも盛んに研究が行われているのがトポロジー的な構造を利用した符号化手法である.基本的には量子力学による扱いで理論研究が進むと考えられるが,この符号に関しては,古典のスピン系の統計力学を応用することが出来る.
トーラス上に構築した格子の辺上に2準位量子状態キュービットをおく.周囲の環境からのデコヒーレンスの効果で,各キュービットに独立にエラーが生じる(X,Z演算で表現することが可能な)状況を考える.格子の形を反映した検査演算子(局所的なZ,X演算子)を常にかけ続けることにより,エラーと検査演算の効果で格子上にX,Z演算が模様をなしてかかっている状況を作る.エラーによる演算効果をランダムネスの効果,そして検査演算による効果を熱揺らぎの効果と考えることで,この格子上の模様は2次元ランダムボンドイジング模型の有限温度のドメインウォールの模様に対応させる事が出来る.
量子状態はこの全系におけるドメインウォールの模様のトポロジーと対応させる.
ドメインウォールが系全体に行き渡り,相転移を引き起こすというスピン系のシナリオが,エラーが多く形成されたことにより量子情報でいうところの異なる量子状態の転移を引き起こすという話と結びつく.
最近ではカラー符号と呼ばれるトーラス符号の発展系が提案された.2次元格子上でのこの符号でのエラーと検査演算による効果の模様と三角格子やUnion-Jack格子上での3体相互作用を持つランダムイジング模型のドメインウォールの模様が対応する.
これらのトーラス上での量子情報における誤り符号がランダムスピン系の相転移と結びつくことは非常に注目すべきところであり,上記のランダムスピン系の解析手法を用いて,誤り訂正符号の性能評価を行うことが出来る.
この性能評価は数値計算などで完全に行うのは,統計誤差やランダムスピン系特有の遅い緩和の問題により,非常に難しい.そのため解析計算による研究が非常に有効である.
参考文献
トーラス符号と2次元ランダムボンドイジング模型の関係
E. Dennis, A. Kitaev, A. Landahl, and J. Preskill, J. Math. Phys. 43 (2002) 4452.
カラー符号と2次元ランダム3体イジング模型の関係
H. G. Katzgraber, H. Bombin, and M. A. Martin-Delgado, arXiv:cond-mat/0902.4845v1.
H. Bombin, and M. A. Martin-Delgado, Phys. Rev. A 77 (2008) 042322.
カラー符号の訂正限界の解析的導出
M. Ohzeki, Phys. Rev. E, 80 (2009) 011141.
Quantum Spin Systems
古典スピン系を扱うというのは,統計力学の解析を行うための利便性のため,単純化のためというのが現代での位置づけである.本来スピンの性質や振る舞いは純粋な量子効果によるものである.有限温度においては量子効果は効かずに古典的な離散的な値でもって制御されるというのが,古典スピン系の動機付けといえる.上記のような理由はあるもののやはり量子効果を少しでも取り扱うと言う事に挑戦するのは非常に有意義であり,現代におけるデバイスが量子効果の理解の末得られたものである以上,その基礎的な研究を行う重要性は計り知れない.
量子効果は演算子の非可換から生み出されているが,同時にそれは解析の困難性をもたらす.
そこでいくつかの近似をして具合を探るのが理論の一歩となる.
量子スピン系の相図を描き,量子効果がどのように系の秩序を崩すのに効いているのかをその近似の下,ざっと眺めることも行っている.
階層格子上の繰り込み群を利用して有限次元の量子スピン系の相図という極めて稀なものを定量的に描く大規模な計算を修士課程の学生と共に行っている.
参考文献
Partial Annealing System
多重臨界点の理論において,双対変換とレプリカ法そして繰り込み群を用いた理論を私は提案した.しかしその精度や正確性については議論の余地がある.過去にいくつか正当性の議論があった.まずレプリカ法により生じるレプリカ数についての解析接続の問題があげられる.レプリカ数が比較的小さい場合,双対性は厳密な転移点に関する解答を与えてくれる.しかしながらレプリカ数が大きくなると,双対性はうまくはたらかないことが知られている.多重臨界点の理論では,この部分についての問題点については完全に答えていない.本来,興味のあるクエンチ系はレプリカ数0の極限への外挿を行うのであるが,やはり全レプリカ数における双対性の有効性が確認されていないために,その外挿の途中で外れる可能性がありえることは容易に想像がつく.
このレプリカ数の非常に小さい値の系のことをPartial Anneal Systemと呼ぶ.物理的にはスピンの熱揺らぎによる運動とランダムボンドの揺らぎを両方考慮することに相当する.これに対してクエンチ系はランダムボンドは固定された極限に相当する.
この系に関する比較的簡単な数値的解析手法を新たに提案している.
またこの手法により,レプリカ数に関する特異性についても議論することが出来て,RSB(レプリカ対称性の破れ)と呼ばれる,あまり理解の進んでいない特異的な現象についても,ひとつの切り口となる可能性がある.
参考文献
Partial Annealing系について
中島千尋 博士論文 東京大学